結局、
「叛逆の物語」には合計4回お出かけしたのでした。
グッズ目当てではなく、何度も見たくなる素敵な話でした。
リピート視聴させるために難解に作られているなんてことは全然ないし、
グッズで釣ってブームを無理やり持続させてるなんてこともないように思うんですが、…
…そこそこの人数の人が、そういうの関係なく何周かしたんじゃないですかね。
4周見て、関係者コメントやほかの方々の感想なども拝見して、だいぶ、多面的なとらえ方ができるようになったように思います。
過去の書き付けた内容だと「うーん、ちょっと読解間違いしてたかな」と感じる部分もあるので、ちょっとまとめ直しておこうかな、と思いました。
以下ネタバレ
全員いる世界
まどかが旧作で悩み抜いて成し遂げた改変をそれこそ汚すかのようなオチ。
使い魔のような、現世にいてはならないであろう不条理が、平気な顔をして闊歩する世界。
そんな結末に対し、やはり、義の人・さやかのように、「それでいいのかよ!」と言いたくもなるのですが。
それでも、もし、もしも、まどかは「その身は概念に成り果てて大切な家族に会えなくなる、憶えていてもらえなくなる」なんてことを、事後承諾させられたんだとしたら。
それは14歳の身空で、達観・納得させていいことなのか。
その子に、「ちょっと待った!」と言ってやれる、「やり直していいんだよ」と引き戻してあげられる、優しく懐のある作品世界(作中でいう改変された世界という意味ではなく、『まどか☆マギカ』の作品の方向性)に変革された、とも言えるなと。
「代わりに、あんたが間違えばいいんだよ」って、旧作のあの台詞を思い出すのです。そうでした。「きれいな解決なんてない」でしたね。
そう思ったら、割とハッピーエンドなのかな、と…。ほむらの自虐が過ぎる以外はね。
そんなことも思ったりしたのです。
ほむらの思い
「友達の○○ちゃん」の動向。その一挙手一投足で歓喜したり絶望したりできるお年頃なんですよね。
そんなこととか。
徹底的に自虐的な選択をしているところが苦しいとか。
でも、彼女が「もういいよ」って言われて本当に許されたと感じるだろうなのは、彼女に「お願い」をしたあの時間軸のまどかだけなんだろうな、とか。
それは二度と叶わないことで。それは呪縛にも似て。
他方、まどかを求める欲望(「まどかに必要とされたい、という欲求」と中の人は表現していたな)も強く。
これも、わがままと思えるかもしれないけど、それしかレーゾンデートルがないと考えている彼女にとっては自然なことで。
でも、その呪縛から彼女が解かれるとしたら、やっぱり今目の前のまどかと新しい関係を築くしかないんですよね。
終盤のほむらの声音が、悪魔然としていない、普通の少女のものであることが、切なく、苦しく、優しく、実に素敵で。
そりゃ、クール千和さんに悪魔然とした声音でやってもらっても、格好良かったと思いますが。
最後のまどかとのやりとりが、おしまいの「貴方のほうが似合うわね」の含みが、その新しい関係構築への予感を含んでいて、胸を打つのです。
この部分は、初見の時と印象はまったく変わってないですね。
新しい関係は、世間一般に見た美しい友情なんかじゃないかもしれない。
ありきたりな、愛憎でもないかもしれない。
誤解を相変わらず伴って、すれ違いっぱなしかもしれないですけど。
でも、やっと二人は、互いにキャッチボールのようなものを始めたんだ、と思えたんですよね。
(できたのはあの一瞬だけで、アクエ○オンじゃないけど次の投げ合いは一万年後かもしれませんけど! あのスタッフのやることだからどんなイケズをされるかわかったもんじゃないですし)
…なので、まどかに振られて身を投げてオシマイ、という解釈には異論のあるところです。
人と人の関わりは、すれ違いがあったからって、そんな簡単に閉じちゃえるものじゃないですから。
「この後、まどかがどう返すかの物語が見たい!」ってミズハスがインタビューで言ってた。まさに、それを思います。
叶うことなら、この後の、二人のキャッチボールが見たいですね。
それまでは、ファンが夢想する、妄想の世界を楽しんで待つことにします。
あ、もちろん「あれで終わりです。あとはご想像にお任せ」でも確かにきれいだな、とも思いますけどね…!