ほむらの思い

「友達の○○ちゃん」の動向。その一挙手一投足で歓喜したり絶望したりできるお年頃なんですよね。
そんなこととか。
徹底的に自虐的な選択をしているところが苦しいとか。
でも、彼女が「もういいよ」って言われて本当に許されたと感じるだろうなのは、彼女に「お願い」をしたあの時間軸のまどかだけなんだろうな、とか。
それは二度と叶わないことで。それは呪縛にも似て。
他方、まどかを求める欲望(「まどかに必要とされたい、という欲求」と中の人は表現していたな)も強く。
これも、わがままと思えるかもしれないけど、それしかレーゾンデートルがないと考えている彼女にとっては自然なことで。

でも、その呪縛から彼女が解かれるとしたら、やっぱり今目の前のまどかと新しい関係を築くしかないんですよね。

終盤のほむらの声音が、悪魔然としていない、普通の少女のものであることが、切なく、苦しく、優しく、実に素敵で。
そりゃ、クール千和さんに悪魔然とした声音でやってもらっても、格好良かったと思いますが。

最後のまどかとのやりとりが、おしまいの「貴方のほうが似合うわね」の含みが、その新しい関係構築への予感を含んでいて、胸を打つのです。

この部分は、初見の時と印象はまったく変わってないですね。

新しい関係は、世間一般に見た美しい友情なんかじゃないかもしれない。
ありきたりな、愛憎でもないかもしれない。
誤解を相変わらず伴って、すれ違いっぱなしかもしれないですけど。

でも、やっと二人は、互いにキャッチボールのようなものを始めたんだ、と思えたんですよね。
(できたのはあの一瞬だけで、アクエ○オンじゃないけど次の投げ合いは一万年後かもしれませんけど! あのスタッフのやることだからどんなイケズをされるかわかったもんじゃないですし)

…なので、まどかに振られて身を投げてオシマイ、という解釈には異論のあるところです。

人と人の関わりは、すれ違いがあったからって、そんな簡単に閉じちゃえるものじゃないですから。

「この後、まどかがどう返すかの物語が見たい!」ってミズハスがインタビューで言ってた。まさに、それを思います。
叶うことなら、この後の、二人のキャッチボールが見たいですね。

それまでは、ファンが夢想する、妄想の世界を楽しんで待つことにします。

あ、もちろん「あれで終わりです。あとはご想像にお任せ」でも確かにきれいだな、とも思いますけどね…!