感想をお伝えしたところ、(追々記)

本書は「芝村さんのスーパーウルトラ難易度高いセッション」を想定として書かれている旨のコメントをいただきました。
https://twitter.com/match_bo/status/819283524767227904

Aの魔法陣というゲームは、乱暴な言い方をするならば、
「普通のTRPGを遊んでいて、用意されているルールでの解決ができない事柄について背景をデザインしなければならなくなった/行動の成否を判定しなければならなくなった。どうしようか?」
そんなときに行われるであろう相談・合議のプロセスを、余分をそぎ落とし、シンプルな数理モデルに落とし込み、作法も含めてクリアに明文化したものです。
「むしろこの枠組みだけで、世界観も構築できるし行為判定もすべて処理できるんじゃね?」…な勢いのものです。

Aの魔法陣の特長として、

  • 詳細厳格な世界観やデータ・確率モデルなどを持たない…が、
  • SDとプレイヤーの理解・認識をすり合わせる作法をルールとして明記しており、
  • プロセスをフェイズに明示して定型化しているので、
  • たとえ卓ごと・SDごとに世界観やら裁定の匙加減やらがちがったとしても、ルールの作法と手順をまもってやりとりすれば、自然と、「差異のあるままに」卓のプレイスタイルが収束していく!

点があります。
これは非常に大きな特徴で、それゆえに芝村先生自身が「ピーキーだが類まれなる軽量さを誇るシステム」と評しています。

…ということは、
「(SDが誰であるか不問の)Aの魔法陣のプレイングガイド」と
「(SDとして主に芝村先生を想定し、エース難度での裁定を想定した)Aの魔法陣のプレイングガイド」では、
だいぶ趣が変わる(少なくとも前者の内容に含まれない、後者限定の内容が含まれる)ことは間違いありません。

すべての行き違いに納得しました。

納得するとともに、であるならば、と、執筆のご苦労がおありだろうことを脇に置いて読者として勝手に期待してしまうのですが、…

why項を拡充することで、エース難度の何たるかを分析・浮き彫り・すかし彫りにしつくしたものをぜひ見てみたいですし、逆に自分がSDとしてエース難度のゲームを構築して回そうと思ったならば、どう難易度を設計・設定し、どう行動宣言に対しての裁定をジャッジするかの思考過程も知りたいところです。

あるいは逆に、「いやいやそうじゃないんだ、コンベンションで、あるいは公開オンセで、芝村先生SDのゲームでいかにプレイヤーとしてたくましく戦うか、そこ一点に集約した解説なんだ」ということであれば、ぜひ芝村先生のセッションを、芝村先生の思考法を、微に入り細に入り分析したwhy項が見てみたい。

そんな勝手なことを考えてしまいました。