平穏な日々でも(1)

平和になったらなったで忙しいのが、技術研究所という部類の職場であった。


今日も空母フォートクォートは千客万来。某国の国防大臣に某国航空宇宙軍の司令官、某重工系企業のトップなど、ICKX兵工技研への出資を検討しているスポンサー候補達が、文字通り入れ替わり立ち替わり来訪していた。年度の初めはいつもこうだ。

所長のフルトは押し寄せる来客を巧みに捌き、ある客には旧型機の近代化改修のために開発した新しい策敵システムを実演し、またある客には艦船の超高高度飛行のために必要となるだろう次世代型エンジンの点火実験を披露し、またある客には新しい複合材による軽量で強靭な装甲の計画について会議室で説いて聞かせ…と、それはもう八面六臂の働きぶりであった。


「だからって、こうも連続で応対してると、俺達もさすがに疲れがたまってくるな……」
ナヴァホは溜息まじりにつぶやいた。

彼が見学対応のために、担当機であるY1のコクピットに収まったのは何時間前のことだったか。
近隣諸国外交中の某国首相が来訪して見学すると聞いてスタンバイしたのはよいが、やれ首脳会談が長引いただの、やれ天候が悪くて専用機の出発が遅れただので到着がズルズルと遅れている。

ブリッジからの連絡は「もう来ます」「すぐ来ます」の一点ばりで、ついついシートから腰を上げ損ねたが……こんなことなら一度自室に戻って仮眠を取ってくるべきだったのではないか。

彼は雇われパイロットである。もちろん体力には自信がある方だが、連日不規則なスケジュールで接客業を繰り返せば、変なストレスも溜まってくる。どうせ同じ仕事ならば緊急出撃のほうが、相手に気を使わないでよい分マシだった。

「…俺達、ですか。どなたのことかしら。私は違いますよ?」

スピーカーを通して、機載AIが涼しい声で応えてくる。
今日の出番はこの特装機であるY1だけ。傭兵仲間のハウンドとコメットは居住区待機だった。要するに、非番だ。……羨ましい奴ら。


「だいたい、人類が異星の技術を手にして争うことを阻止するのがうちの大目的だろうに。こうも買い手を集めるのは矛盾してないか」
疲労から来る苛立ちが収まらなくて、ナヴァホはつい嫌味を口にしてしまった。

だが、彼の相棒の返事は意外なものだった。


「あら。拾ってきた異星の技術なんて、彼らには欠片もお売りしてません。100%地球産ですよ?マスタ」
「そうなのか? だって『新たに解析された技術を応用し』とか散々宣伝してるし、俺はてっきり」
「クライアントの皆さんは異星の技術と思ってるかもしれませんね。いえ、そう思って頂いていたほうが好都合です」

フルトにとってはね、と彼女は少女のような可愛い声で続けた。

「異星の技術が欲しくて欲しくてしょうがない方々は、まだたくさんいらっしゃいますでしょう」
「実際、俺たちも未だにモグラ叩きに駆り出されてるよな……」
「欲しがっているというだけで叩いてしまうのは、面倒ですし非効率。そんな暇もありません」

――なんでこいつの動作インジケータは、こういう話をしているときが一番速く明滅するんだ。
キラキラと光るLED列を見つめながら、ナヴァホは言った。

「そうか…このフォートクォートは誘蛾灯なのか」

技研の母艦であるフォートクォート。元はといえば異星人が星間航行に用いていた宇宙船だ。
こいつを自由に飛ばしていること自体、すなわち技研が異星の技術の解析に長けていることの証である。

「ご明察」
「技研の開発した技術…実際には地球産の技術を、異星の技術と錯覚させて買わせ、彼らを満足させるわけか」

我々が実際に売りこむ技術が異星のものでなくても、フォートクォートを始めとする派手な演出と説明で「異星のすごい技術である」と騙される仕掛けだ。

――…うちの所長は結局のところ、実に優しいお嬢さんなのだな。

クライアントたちが実際に異星の技術を手に入れ、敵対勢力予備軍にならないように、直接パイプを作って予防しようと考えているのだろう。無駄な流血を避け、活動資金も手に入る。一石二鳥ということか。


「でも、あながち嘘でもありませんでしょう? 研究の遂行自体には一部解析した技術を援用しているわけですし」
「そこのノウハウはガッチリガードして漏らさないってわけだ」
「当然です。漏らしたところで使いこなせるとは思いませんがね」
「ちょっと残念かな」
「フフ。そんなもの無くたって」

相棒は笑った。

「人が幸せに生きるには十分でしょう? 違いますか、マスタ」
「そりゃそうだ」

ナヴァホもニヤリと笑う。


「さてマスタ。バイタルも少し安定したようですし。ひと眠りされたらいかがですか?」
「おいおい、待機指示出てるのに昼寝はマズいだろう」
「先程から近隣の管制情報をモニタしているのですが……外は酷く時化てます。まだ大分待たされそうだわ」

――やれやれ。困ったお偉いさんだ。
しかし、そうとわかると途端に睡魔が襲ってきた。

「ではお言葉に甘えようかな。……時間になったら教えてくれ」
「お任せを。マスタが確実に起きる方法を20個ほどリストアップしてありますので」
「おい……何をする気だ」
「冗談です」

本当に冗談かあやしいのがこの娘の食えないところである。

だが、もうまぶたが重くてしかたがなかった。
抗わずに目を瞑ると、意識が急速にヘッドレストに吸い込まれていくような感覚。


「…マスタ、よい夢を」

平穏な日々でも(2)

こんな夢を見た。

夜、湖のほとり。

月が明るく湖面を照らしていた。月齢の程、十二か三、といったところか。

風があった。
時折雲が流れ、月影を遮ると、雲間から漏れる月光が淡く、空をほのかに照らす。

ふと気がつくと、岸辺に石造りの東屋があった。

見たことのない少女が一人、月を見上げて、何か歌のようなものを口ずさんでいた。
歌詞は無いのか、あるいは聞き取れなかったのか……内容はわからなかったが、だがそれは聞いたこともないよく澄んだ声で、響いた。
青白い月光が、少女の纏う白いサマードレスを照らしていた。

しばらく、少女が歌う様を見ていたのだが、やがて、少女はこちらに気がついたようだった。
歌うのをやめ、慌てた様子で東屋の柱に、隠れるようにしてしがみ付いた。

「……どうして、ここに」

そう聞こえたような気がした。
少女にとって自分は間の悪い来訪者だったようだ。
しかしかといって、他に行くあても無かった。

少女はかなり長いこと、そうして恥ずかしそうに柱の影から顔を覗かせてこちらを伺っていたが、やがて自分に立ち去る様子が無いことが分かると、隠れるのを諦めたようだった。

「……しょうのない人」

柱の影から出てきた彼女は、言った。

「ここは、秘密の場所のひとつ」

少女が指差す先には、湖面に映る月の影。

「例え嵐が来ても、何故か此処は晴れるんですよ」

少女はこちらを見て、悪戯っぽく笑った。

「せっかくですから、お茶でもいかがです?」



少女に誘われて東屋に入る。

木組のベンチに座ると、テーブルには、磁器製のカップがふた揃えとディーポットが用意されていた。

「実は私も、このお茶は好きなの」

そう言いながら見知らぬ少女は、裏返されていたカップを返して着々と準備を進めている。
その手際に、自分は何故か期待と不安が入り混じったような妙な気分になっていた。

少女はティーポットに被せられたコゼーを外すと、ポットの中身をカップにゆっくりと注いだ。
ふんわりと湯気が立ち、淡い柑橘系の香りが漂う。

注がれた琥珀色の液体に月光が射し込んで、白く輝くカップの底を照らした。

気が付くと少女は、いつの間にか出現した、磁器製の器に手をかけた。
何故か中身が分かった。あれは砂糖の壺だ。

妙な気分がそのまま焦燥感に変わった。

なぜだかわからないが、『ああ、夢の中でもこうなのか』と思った。
明晰夢だというなら自分の意志で展開を変えられるべきだろう、などとも思った。
覚醒が近づいたのか、もともと眠りが浅かったのか。

そうだ。そうだった。あの壺は所長の部屋にあるやつにそっくりだ。
ミーティングに行くたび飲むことを強要される、あの物凄く甘い紅茶!
間違いなくハラスメントなのだが、所長にまるで悪気がないところが本当にズルイと思う。
文句を言えない。

気がつけばティーポットも、コゼーも、所長の部屋にあるものにそっくりだ。
いや、もともとこのデザインだったろうか。夢だし、今この瞬間に形が変わったのかもしれない。

ああでも、と思う。

これは結局のところ悪夢だ。そういえばこの少女も心なしか所長に似ていないか。
これでは疲れなど取れないぞ。…仮眠など取らない方が良かったのではないか?

そして少女がついに器の蓋を開ける。
中には…忘れるはずもない。見覚えのある、山盛りの角砂糖。

少女が悪戯っぽく笑い、こちらをじっと見つめていた。

――ああ、所長もこんな顔、時々するよなあ。碌でもないことを言い出す前の顔……

いよいよジットリと嫌な汗が流れ出した、そのとき。



「フフフ? お好みでどうぞ」

少女が突然、カップと壺をこちらにすっと差し出した。

「そんなに怖がらなくても……可愛いんですね」

微笑んで、くすくすと笑った。

――やはり明晰夢だったか。勝った。

その瞬間、緊張がいっぺんに融けて、自分は大きな溜息をついていた。
壺から角砂糖を1つ、取り出す。

「おや、1つ入れるんですね。私は、……フフ。そうですね、たまにものすごく甘い味にしたくなったりもしますが」

カップに角砂糖を沈めると、それは小さな気泡を立てながら徐々に崩れていった。
久しぶりに、ちゃんとした紅茶を飲める気がする。

カップを手にとると、花のような爽やかな香り。
所長の部屋で飲むときも、あの液体はこんな香りがしていたんだろうか。
それこそ夢中で、まったく気にする余裕も無かったけれど……



突然、警報音が鳴り響いた。

――敵襲? スクランブル? 何事か!

ふと見ると、少女の姿は目の前から消えていた。
それに気がつけば耳元に自室の壁時計がある。けたたましい音はこいつのアラーム音だった。それに、…
そもそも自分はベッドの中にいた。

――あれ、自室で寝ていたのだったか。

夢を見ていた自覚もある。だから不思議も無かった。

――目覚ましのアラームなんていつの間にしかけたかな…。ええと今日の予定は…

まとまらない頭で必死に考えながら、ベッドから体を起き上がらせた。

平穏な日々でも(3)

「あ、痛!」

ナヴァホはコクピットの天井に盛大に頭をぶつけた。
脳が状況を受け止めきれずに盛大に混乱している。

――そうだ、俺は仮眠中だった。で、ここはY1のコクピット

「何やってるんですかマスタ。モニタスクリーンに傷でもついたらどうするんです」

相棒が怒気を孕んだ声を上げた。コクピットにアラーム音が鳴り響いている。この音は…

「…おい、お前…いつの間に俺の部屋の時計のアラーム音、ダウンロードした」

「言ったでしょう、マスタ。確実に起こす手が30手あると。そのうちの一つですよ。お早うございます」

そう言って、彼女はアラーム音を停止させた。声が明らかに笑っている。

――おいおい、数が増えてないか。

ナヴァホはプライバシー侵害を訴えることをちょっと考えたが、すぐに無駄なことと思い至り、やめた。

「お前さんが優しく起こしてくださった、ということは仕事の時間だな。お客さんはどうしてる」

「15分前に本艦に到着しました。今、フルトが応接室に案内して概要説明中」

上司の名前を聞き、ナヴァホは夢を思い出して、言った。

「了解。では準備するか!……例の紅茶、お客さんにもお出しすればいいのにな」

「ああ、あれですか。あれは、彼女がとても気に入っているものですから……本当に気に入ってる人にしか出さないのですよマスタ」

「そりゃ光栄だね。本当に身に余るよ」



「フフ。そんなマスタに私からプレゼントです」

彼女が突然言った。

「整備の方にお願いして、お休みの間にドリンクサーバーの中身を取り替えてもらいました。首相がハンガーにいらっしゃるまでの間に、いかがです? 目覚めの一杯」

「お前……何か良からぬことを企んで無いだろうな」

「いえいえ、マスタの可愛らしい寝顔を拝見しましたので、そのお礼に」

「いい歳した男が悪夢にうなされてる様の見物料の間違いだろ……どれ」

ナヴァホは首元に伸びているシリコンチューブを咥えた。
慎重に、少しだけ吸い込んで、舐める。

「む。お前、こいつは…」

「眠気覚ましにはカフェイン分をと思いまして。紅茶ですよ。ここで飲むのは、新鮮でしょう?」

「甘さ控えめなのは有難い。紅茶を飲んでるって実感する」

「そんなにしみじみ言わないでくださいな」

「しかし……微妙に冷たいな」

「ドリンクサーバーでホットティー淹れたら、さすがに壊れてしまいますもの。我慢してください……あ、見えたようですよ」



ナヴァホはモニタスクリーン上の注視ウィンドウを拡大して、ハンガーに現れた一団を観察した。

スーツに身を包んだ初老の男性と黒服の男たち。様子から、今回のゲストである首相とその護衛であろう。
その一団を、スーツに身を包んだ金髪の女性が引き連れている。いつも所員が見慣れている、ひらひらの可愛らしいドレスではなかった。

「所長殿も戦闘服をお召しか。大変だな」
「あれがフルトの戦場ですから」

彼女も呟く。ウィンドウの中の女性がナヴァホの方を仰ぎ見て、手を振った。

「ナヴァホさん! それでは油圧系の動作実演、お願いします!」

凛と良く通る大きな声で指示を出す。

「よし。お仕事だ、エフィ」

ナヴァホは相棒に合図した。

「了解、マスタ。油圧制御系オン。弁制御開始。デモモード、プログラムAでスタート」

低い唸りと共に、ハンガーに宙吊りになっているY1の小翼がゆっくりと動作を開始する。油圧系で制御する各部機構を、ひととおり動かして見せる、いつものお決まりなデモンストレーションプログラムだ。
ウィンドウの中の女性が、スーツの男に何か説明しているようだった。

「ふう。この内容だと、俺が座ってる意味があまり無いようにも思うがね」

「マスタ、さすがに私が完全無人でも動作可能であることをおおっぴらには出来ませんので…」

「わかってるよ。…しかしこのお茶、ちょっと旨いな」

ナヴァホはシリコンチューブを咥えて、ぬるいアイスティーをひと啜りした。

「褒めても何も出ませんよ?」

「さすがにお前が淹れたわけじゃないだろ……そういや夢に出てきた紅茶」

「夢の中でまで上司が出てきましたか……それはうなされもしますね。少しばかり同情します」

「いや、可愛い子の淹れてくれた旨そうな紅茶だったんだが……もうちょっとで飲めたんだがなあ…」

「………」


その時だった。

ギギギギギギギギ!!!

突然甲高い、金属がこすれるような音がハンガーに鳴り響いて、止んだ。

異常な音に、所長も首相への説明をやめ、慌てて振り返る。

「…エフィ!」

……Y1は、デモンストレーション動作を止めて、沈黙していた。



「おい、どうした! 大丈夫か!」

ナヴァホはコンソールを操作して機体の状態を確認する。
ひととおりダメージチェックをするが、大きな異常はないように見えた。

珍しくしおらしい声で、相棒が応えた。

「すみませんマスタ……」




Y1は、着陸脚が半分収納されかかった状態のまま、収納庫のハッチが閉じていた。
つまり、自分で自分の着陸脚を挟んだ格好だった。

……フルトは頭を抱えた。

――何やってるの、エフィ!

「ほ、ほ、ほ。機械も緊張するのですね、よい勉強になりました」

首相が言った。

「は、はい! 今日はちょっと…! いつもはこんなじゃ、ありませんのよ!! ほほほほほ!」

とフルト。こちらも、珍しく顔が青くなっていた。

「…さあ、では次の見学場所へご案内いたします!」

フルトは引きつった笑いを浮かべながら、首相を先導してハンガーを後にした。

(平穏な日々でも・終)