エンターテイメントと飽き (9:19)

続き。
講演会では続いてSONYの藤田氏の講演もあった。AIBOやSDRはあくまでも「エンターテイメント」ロボットであって、ペットロボットでもお友達ロボットでもない、エンターテイメントを「再生して楽しむことの出来るプレイヤー」という説明は非常にわかりやすい。第三者のコンテンツ作成者を巻き込んで、エンターテイメントコンテンツ(主にモーションデータなどだと思うが)を増やしていこうという方針も含めて、「伺か」等DAの状況に近い。
この理想的なコンテンツ生産体系が出来あがれば、飽きは防げるように思える。

「CDプレイヤーに飽きました」という事態は、視聴するCDが途切れなくリリースされる限り発生しない、という論理である。
和梨は、個々のコンテンツの寿命を延ばす一方で、コンテンツの途切れない提供を実現するためのコンテンツ生産のコストダウンを目標に置いて設計してきた。すべてコンテンツ生産体制をバックアップするためだ。
こんな話を、やはり講演を聴いていたF女史に話したら、「CDプレイヤーにだって飽きますよぉ。デザインとか、機能とか、やっぱり最新式のが欲しくなるじゃないですか」。
なるほど、たしかにそれは言える。つまり、単に多様なコンテンツが提供されるだけでもデザインや機能面で飽き、デザインや機能を変化させてもいずれコンセプトレベルで飽きる。飽きても困らないのは、それが生活必需品ではないからだ。
そう、必需品ではない。AIBOが家にいなくても困らない。SDRもしかり、だ。ペット型、あるいは人型のロボットを家に置く「意味」を考えつかない以上、「無くても困らない」物体である。それとも麻薬的な娯楽性を持たせて手放せないようにする、か? (そういえば最近中国ではゲーム依存・中毒を治療しようという動きがあるらしい。脳内麻薬の中毒ってわけだ)
逆を返せば、DAにもそれが言えるということだ。
もっとも、現行の「伺か」はAIBOより多少有利な面もある。キャラクター画像変更(シェル)、ネット利用などである。